◇◇◇ 七夕飾り ◇◇◇ コメントをどうぞ 明日は矢巾町徳田保育園の園児さんが来館し「七夕会」が開催sれます。その準備で大きな笹竹に飾り付けをしております。 皆様おもいおもいに飾りつけ、短冊に願い事を記入しております。 私も短冊に願い事を書きました。 皆さんの願い事は何でしたか? 皆さんの願い事がしっかり届きますように(^^)
☆☆☆ 夏レイアウト ☆☆☆ コメントをどうぞ 現在の当施設玄関はこんな感じです。 6/17に開催した「エプロンの会」で作成した作品を掲示中です。 ホタルの貼り絵が来館する方々、私達スタッフ、そしてご利用者様を和ませ、涼しげにしてくれます。
♪♪♪ 二胡演奏 ♪♪♪ コメントをどうぞ みなさん、こんにちは。 担当の髙橋です。 最近更新せずに大変申し訳けございませんでした。 これからも定期的に更新していきますので宜しくお願い致します。 さて、6月下旬にボランティアさんがお見えになり。 二胡演奏を各エリア行って頂きました。 二胡とは擦弦楽器の一種で、2本の弦を間に挟んだ弓で弾く。琴筒はニシキヘビの皮で覆われている。原型楽器は、唐代に北方の異民族によって用いられた奚琴という楽器であるとされる。この頃は現在のように演奏するときに楽器を立てず、横に寝かせた状態で棒を用いて弦を擦り、音を出した[1]。宋代に入り演奏時に立てて弾く形式が広まり、この頃には嵆琴と字を変えて呼ばれるようになった。宋代宮廷のある嵆琴奏者が一本の弦で曲を弾いたエピソードが瀋括《補筆談・楽律》に見え、この時ある程度の演奏技術が確立していたことが分かる。また同じく瀋括《夢渓筆談》の記録より、宋代で既に馬の尻尾が弓に用いられていた様子が伺える[2]。近代になり劉天華等によって演奏技法が高度化され、それに伴い楽器自体も改良が重ねられた。1920年代、西洋音楽が中国に大量に入り、劉天華をはじめとした音楽家たちは中国の伝統文化と融合させた新しい音楽や奏法を開発した。劉天華は二胡独奏曲「良宵」、「光明行」など十曲を作曲し、それまで戯曲の伴奏が主体であった二胡に、独立した楽器としての地位を与えたのである[3]。現在普及している形は、1950年代から(文化大革命の停滞期を挟み)1980年代ごろに出来上がったものが基本となっている[出典]。wikipediaより ご利用者の皆様がわかる曲で弾いてくださり。 心地よい音色にご利用者様は酔いしれておりました。 二胡演奏のボランティアの方々ありがとうございました。